野村民也氏が死去 日本の宇宙研究の草分け [東京新聞]

科学衛星の開発に草創期から携わり、日本初の人工衛星おおすみ」の実験主任を務めた東大名誉教授の野村民也氏が5月31日午後3時22分、呼吸不全のため東京都新宿区の慶応大病院で死去した。83歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者だけで執り行った。喪主は妻和子さん。

東大宇宙航空研究所(現宇宙航空研究開発機構)所長、宇宙開発委員会委員長代理などを歴任。
1945年に東京帝大を卒業後、国産ロケット「ペンシルロケット」の開発に参加するなど宇宙技術の研究に携わった。実験主任を務めた日本初の人工衛星おおすみ」打ち上げでは、70年2月に成功するまで4回失敗。「悲劇の実験主任」と呼ばれた。

役目を終えた後も地球の周りを回り続けていたおおすみが2003年8月、大気圏に突入して燃え尽きた際には、4回の失敗について「その中で技術を習得できたことで、その後の科学衛星打ち上げが非常にうまくいった」と振り返った。

4年前まで33年の長きにわたり地球を回り続けた日本初の人工衛星おおすみ」の生みの親だそうです。 当時は軍事転用などと騒がれたこともあってか何と誘導装置無しでの打ち上げでした。 「おおすみ」によって切り開かれた道は今や深宇宙まで届く全段固体ロケットによりはるか遠くにまで及んでいます。 それまでの苦難も今では素晴らしく価値のある事です。 ご冥福をお祈りします。