【復活への点火 新型ロケット誕生】(上)どん底から出発、「異質」乗り越え [産経]

 「野球に例えるなら、現役ばりばりのスター選手が、年俸が高すぎるという理由だけで突如引退させられるようなもの」。M5の責任者だったJAXAの森田泰弘教授(55)は、憤りを隠さなかった。

 別の宇宙関係者も「日本が持つべき技術を考えず、コスト論に終始していた。頂点のロケットを一気にどん底にたたき落とす判断だった」と悔しがる。

後継機の見通しもほとんど無しに運用終了させちゃいましたからねえ。

 「チームがまとまる必要があるのに、ロケットへの意識が異なり気持ちのすり合わせができなかった。専門用語も通じず全くの異文化交流だった」(羽生氏)
 固体燃料ロケットでありながら、研究拠点は旧事業団の筑波宇宙センター(茨城県つくば市)に置かれ、チーム内には主導権争いの様相すらあったという。
 そんな“水と油”の関係を変えたきっかけは、都内で定期的に開かれたJAXA幹部への状況説明会だった。入念な準備と緊張、終了後の解放感を共有するうちに一体感が熟成されていった。メンバーは会合後に酒を酌み交わし、互いの労をねぎらうまでになった。

これが森田先生が「ONE JAXA」と評する所以でしょうか。M-VまでのISAS系ロケットは「実験」でしたし、実用ロケットとして扱うNASDA系とは確かに性格が異なります。この一体感が出来たからこそ、プロジェクト化からわずか3年で打ち上げにこぎ着けられたんでしょうね。