アメリカの謝罪を拒み、献花を踏み躙った原爆被害者 [週刊オブイェクト]

本島市長は面会の席で同艦が非核3原則を守っているかどうか再三にわたってただしたのに対し、ロ艦長は
「安保条約は守っており、核搭載については否定も肯定もしないのが米側の政策だ」
と繰り返した。
 さらにロ艦長は
「市民の核兵器に対する特別な感情はよく理解しているつもりだが、一層、理解を深めるため、平和公園での献花に市長の同行をお願いしたい」
と要請。
 しかし、本島市長は
「核疑惑がある限り、私が案内するのは差しひかえたい」
と答えた。
 艦長がさらに
真珠湾での米国の記念式典には日本人も来ることができる。その時の米国人の気持ちも考えて同行してほしい」
と重ねて要請したが、市長は
「感情が許さない」
と断り、30分足らずで面会を終えた。

ロ艦長らはこのあと、爆心地近くにある同市松山町の平和公園を、献花のため訪れた。
 しかし、平和祈念像の前には長崎原爆被災者協議会の被爆者ら約50人が
「片手で核兵器を運びながら、もう一方の手で花輪をささげることは許されない」
と、日英両語で書いた横断幕などを持って座り込んだ。
このため、艦長は祈念像の前に直接献花するのをあきらめ、像の十数メートル手前に臨時に置いた台の上に花輪を置き、黙とうしてその場を去った。

 被爆者らはこの間、
「花輪を持って帰れ」
「人殺し」
と叫び続け、艦長らが去った後、山口仙二・被災協会長ら3人が、台を倒して花輪を踏みつけたため、あたりに白菊の花びらが散った。

こんな事があったとは。 まあ、被爆者の方達の感情が先立ってしまうのも解るんですが、献花を踏みにじるというのはちょっと… 核非搭載を明言できないのは立場上仕方ないし、いち軍人として出来うる限りの誠意だったと思えるんですけどねえ。 闘争然としてしまったのは年代が年代だっただからかもしれません。