第3話 見えない背中を追いかけ、金星へ [NEC]

「あかつき」の運用支援ソフト「PCNAV」の話。

使用者は、「このタイミングでこういう観測がしたい」という要求を入力します。太陽や地球の方向、金星の影の方向、金星周回軌道の向きや――長野県・臼田の地球局と「あかつき」の通信可能な時間帯。こういった判断条件がこのソフトには組み込んであります。

それらの条件から入力された要求が安全に行える動作とそうでない動作を判定し、「できます」あるいは「問題が発生します」と結果を返します。安全に実施できる一連の運用計画が完成すると、最後に直接探査機に送信できるコマンドが出力されます。

かなり直感的なUIですね。

大谷:
そうです、もともと小惑星探査機「はやぶさ」の運用のために作った「EPNAV(イーピーナブ)」というソフトがあったんです。木村さんはEPNAVの開発を主導していましたので、EPNAVのような運用支援ソフトは、金星周回軌道を飛ぶ「あかつき」にも絶対に必要だと考えたんです。

このEPNAVについてはこちらでも触れられていますね。

大谷:
木村さんは、本当に優れた技術者だったと思います。あたかもハサミと糊を使いこなすように、数式や計算を自由自在に使っていました。それだけではなく、経験も豊富でした。日本が初めて太陽系空間に打ち上げた「さきがけ」「すいせい」の運用の頃から探査機の運用に携わり、火星軌道投入は叶いませんでしたが火星探査機「のぞみ」が、粘りに粘って火星を目指した時も軌道運用の中心となって、その運用を引っ張ってきました。(松浦晋也書「恐るべき旅路」に詳しくその様子が描かれている)そういったぎりぎりの体験から得た“修羅場のノウハウ”とでもいうべきものを一杯持っていました。

「ここはこうしたほうが、勘違いが起きにくいよ」というように、木村さんが仕事の中から得たノウハウはPCNAVに反映されています。私は「かぐや」運用しか経験したことがないので、大変な勉強になりました。

ところが2009年8月、木村さんは急病で亡くなられてしまったんです。「いなくなってしまったんだ」という実感が持てないほど、本当に急でした。

その時点で、完全な仕様が、ドキュメントとしてまとまっていたわけではありませんでした。多分、木村さんの頭の中にはPCNAVというソフトを「ここはこうしよう、あそこはこうしよう」という構想が一杯あったんだと思います。でも、それを全部仕様としてまとめる前に、亡くなられてしまったのです。

私は一人でPCNAVを完成させねばならなくなりました。毎日が手探り、試行錯誤の連続です。「木村さんがいてくれればなあ」と思う日々が続きました。なんとか完成できたのは、プロマネの大島さんはじめ、多くの仲間のサポートがあったからです。

亡き技師の里へはやぶさ模型 [中国新聞]

 木村さんは、NEC航空宇宙システム(東京)の技術者として、宇宙航空研究開発機構JAXA)のプロジェクトにかかわった。はやぶさの計画にも2003年5月の打ち上げ当初から参加し、軌道を割り出す重責を担った。しかし、帰還する約10カ月前、難病で亡くなった。

 DVDと約32分の1の模型は今年8月、木村さんの上司が同市道三町の父滋さん(79)と母富士子さん(74)を訪ねて贈った。はやぶさ小惑星イトカワ」の微粒子を採取した偉業も仏前に報告した。

残念な事に木村さんは「はやぶさ」が帰還する前年に急死されましたが、その後「はやぶさ」は見事に帰還を果たし、また「あかつき」も順調に金星へと向かっています。もう少しですね。