こうのとり2号機打ち上げレポート 03:センターの歴史と地元の協力の巻 [三菱電機DSPACE]

今回のはちょっと渋いです。

 最初に訪れたのは、プレスセンターから近い「小型ロケット発射場」。種子島宇宙センターには3つの発射場がある。小型、中型。そして大型ロケット発射場だ(現在使われているのは大型)。種子島初のロケットが打ち上げられたのは小型発射場。1968年9月、気象観測用SBロケットだった。しかし現在残っているのは長さ約50mのレールと小さなブロックハウスだけ。

最近はこのあたりも整備されてTR-1A発射台が綺麗な姿で展示されてますね。

倉庫には打ち上げられなかったJ-1ロケット2号機が今も眠っている(J-Iロケットの見学は残念ながらNG)。

うそっ、幻のJ-1ロケット2号機がここにあるんですか? 見てみたいなあ…

さらにN-II、H-I、J-1ロケットが飛び立った。その移動式組立棟が今も残っている。「NASDA」(JAXAの前身、宇宙開発事業団)の文字が残り、鉄の柱は赤くさび付いている。「使っている間は1年に三分の一ずつさびを落としてペンキを塗っていました。点検のため自分でも鳶職のように足場にあがったよ」と園田さん。廃墟のように見える組立棟、実は50年使えるよう基礎はしっかりつくられている。あと14年は使える計算だが・・。

あれ、そんなに堅牢な代物だったんですか。

手前の地面の円い跡は1974年、75年に打ち上げられたQ’ロケットの発射台跡。

あれただの鉢植えかと思ってました… 今度行った時はもっとじっくり見てみよう。

 園田さんは1999年3月まで所長を務め、退職された後も種子島に住んでいる。「熊本出身だけどここは第2の故郷。人もいいし気候もいい。ここから有人ロケットが打ちあがるのを見るのが夢。20年以内に実現するんじゃないかな」とその日を楽しみにしている。

それは良いですね。海も綺麗ですし、何より年に数回ロケットが打ち上がるw

 さて、打ち上げ延期が決まった夜、取材班は南種子町の『伝説の店』を訪れた。宇宙関係者御用達の店、その名は「ジョイフル」。南種子町中心街から路地を一本入ったところにある。役場の石堂裕司さんに案内してもらい、木の扉を開けると、優しい笑顔のママさんが迎えてくれた。歴史を感じさせる店内の壁にはロケットのポスターがずらり。近寄って見ると「やったー!」「成功ばんざい!」などぎっしり喜びの声が書き込まれている。「打ち上げ成功の夜は貸し切り状態になります」とママさん。

打ち上げの打ち上げ。きっと島のそこかしこで同時多発乾杯が起こっていることでしょうね。

南種子町の役場は毎回、打ち上げ時は忙しい。町とJAXAとで南種子町宇宙開発推進協力会をつくり、交通安全ボランティアや警察官と協力して見学場所の駐車場の整備をしたり打ち上げ中継の音声を流したりして見学客が楽しめる環境作りをしているのだ。

いつも公式見学所で大変お世話になっています。

実は石堂さん、家で寝ころんでロケット打ち上げを見るのが一番好きらしい。ふすまを開けるとロケットが飛び立っていくのが見えるという。

何そのパラダイス!