【「はやぶさ」の軌跡 本県出身技術者の思い】(上)帰還 カプセル離脱を指揮 電波捕捉 連絡に安堵 [下野新聞]

NECのシステムマネージャー大島さん。

 大島さんはNEC入社7年目の1996年、まだ構想段階だったプロジェクトに参加した。探査機全体の技術とりまとめの立場で、帰還まで14年間、はやぶさを見守り続けた。

 2003年5月の打ち上げ後は、金星探査機「あかつき」開発に軸足を移した。だが、その後も、「イトカワ」へのタッチダウン(着陸)など要所では軸足を戻し、最後に大役が回ってきた。

 約10分という制約の中、はやぶさに命令を送るコマンダーに分離の手順を指示していった。午後7時51分、はやぶさが姿勢を崩し、送られてくる電波の周波数がわずかに変化した。カプセルが分離した証しだ。管制室にいた誰もが拍手した。

 「みんな満面の笑み。私自身は『あぁ、本当に無事に分離したな』と、7年という長い運用はこれで終わりだなという感じだった」

 「ちょっとクール過ぎるのかもしれないが、カプセル帰還の確認を待たないで帰った。午後11時半ごろ宇宙研を出たんだけど、パブリックビューイング(中継映像の上映)をやっていたロビーには続々とファンが集まってきていた。こんなに人が集まってるんだ、と思いながら、その中を帰っていった」

 日付が変わったころ、大島さんの携帯電話が鳴った。「カプセルからの電波を捉えました」。JAXAの担当教授からの連絡に、胸をなで下ろした。

 「これでもう大丈夫だなと。ちゃんと見つかるだろうと思った」

【「はやぶさ」の軌跡 本県出身技術者の思い】(下)夢の仕事 人類の偉業、構想から 帰還カプセルに身震い [下野新聞]

 「小惑星の地表1メートルまで行ったカプセルなんです。それが地球に戻ってきて、今ここにある。大気に切り裂かれた傷跡が痛々しいほど残っている。私も帰ってきたカプセルを初めて目にしたときは、背筋が震えました。人類史に刻まれるであろう偉業の現実を、7年間の旅を終えた本物のカプセルを、皆さんの目に焼き付けてください」

よく「はやぶさ」本体は燃えて消えてしまったと言われますが、このカプセルも「はやぶさ」の一部なんですよね。しかも、サンプラーホーンを通ってサンプルキャッチャーに収まったイトカワの砂を携えて帰ってきましたし。