国際宇宙ステーション初の日本人船長、若田光一さん 有人宇宙活動の飛躍の年に(上) [産経]

結構ガッツリ聞いたインタビュー。

ロシアとアメリカの宇宙服の違いは、アメリカの場合、シャトルで打ち上げて、1、2週間後に帰ってきたら、服を再整備するという前提で宇宙服が作られていました。しかし、ロシアの宇宙服は長い間、ミールという宇宙ステーション(注:ソ連時代に打ち上げられ、2001年まで使用された)に滞在することを前提に作られています。船外活動服は25回連続で使えるとか、整備性も優れていて、宇宙空間で宇宙服を整備できるような形になっている。そういう意味で、ロシアの場合、長期滞在を前提にシステムを設計しているような印象がありますね。これまで、ロシアの数々の宇宙飛行士がミールに長期滞在した経験がありますから、システムの設計や運営のためのノウハウなどもそうした経験を通じて蓄積している。アメリカもスペースシャトルで培った実績があります。最初は短期のフライトが多かったわけですが、国際宇宙ステーション時代になってから、アメリカも長期滞在できるような服を作り上げた感じがします。

確かにアメリカもスペースシャトルがスカイラブに間に合わずしばらくは1〜2週間の往復飛行メインでしたから、ロシアとの設計思想の違いはこの部分も大きそうですね。

国際宇宙ステーション初の日本人船長、若田光一さん 日本の有人宇宙活動の重要な一歩になる(下) [産経]

いろんなことを積み上げてマイルストーンを達成して来ているのですよね。今回のコマンダー(船長)職もその1つにすぎないと思っている。宇宙飛行士には大西卓哉油井亀美也(ゆいきみや)、金井宣茂といった3人の若者がいます。同じ人間を何度も飛ばすことはミッション成功のためには必要なことだと思いますが、新しい飛行士も育てていかなくてはならないのです。同じ人間を複数回、飛行させるためには、やはり、その人じゃないとできないことをさせるしかない。同じ事をするのなら、若い人たちをどんどん飛ばせばいい。コマンダーは経験がないとなかなかつとまらない業務です。そういう意味で、日本の物づくりのクオリティーの高さに対する各国の信頼が、日本人にコマンダーを任せてもいいことにつながっていったのだと思います。

こうして経験を蓄積していく中でまた日本人宇宙飛行士からコマンダーが輩出されてくるかもしれませんね。