内之浦宇宙空間観測所(USC)特別公開に行ってきた 2013.11.10

さて、今回はついに初めてUSC(Uchinoura Space Center)に行きますよ! なんせ内之浦ということでそこはいわゆる陸の孤島、といっても昔ほどではありませんが、空港からは結構な距離がありますので種子島より気合を入れて行く必要があります。
そんなわけで今回はLCCPeach航空を利用し関西国際空港から朝イチで鹿児島空港まで行き、そこから現地の同志MiZ氏の車にピックアップして頂いて肝付町へと向かう手はずを取りました。さて、朝イチ7時の便に搭乗するには始発の電車では間に合いませんので、前日の終電で関空入りし夜を明かすことに。





大阪駅から関空行きの電車に乗り換え。





大阪から関空まで更に小一時間かかります。さすがに物凄く暇なので世界ふしぎ発見の進撃回を視聴。思ってたよりもモロだった。





23時40分、関空着。さすがに人はまばらで静まり返っています。幸い今夜はあまり寒くありません。(翌日から急激に冷え込んだので幸いでした)






改札を出て右が第2ターミナル方面、左へ行くと第1ターミナル。





関空にはJRと南海電鉄が乗り入れています。





第2ターミナルへはバスに乗って10分弱かかる距離があり、バスは深夜を除き数分間隔で運航されています。第2ターミナルへ行くのは朝にすることにし、第1ターミナルへ向かいます。





ツタヤあるんかい! 当然深夜は営業時間外ですが。




コンビニもあるので、大概のことは事足ります。




いわゆる漫画喫茶的なラウンジもあります。シャワー付き。ただし節約のため今回は回避。




ロビーの長椅子に寝てる人多数。国際線となれば当たり前のような光景ですね。




自分も案内所で毛布を借りてきました。一杯やる準備も万端ですw 警備員の人には貴重品に注意するよう声をかけられました。


3時間くらいは寝たかったのですが、普段から夜更かししまくりなので全く寝付けず。まあ目をつぶってじっとしてるだけでも休まるかと思い5時頃までゴロゴロする。というか5時前にはエスカレーターが動き出したりして物音が大きくなってきたので。歯を磨き顔を洗い第2ターミナルに向かう準備開始。





未明のエアポート。
コンセントのあるテーブルで小一時間携帯に充電し今日一日に備えつつiPadでネット巡回。ちなみに関空内は無料のWi-Fiも使えます。





シャトルバスに乗り込む。





6時15分、第2ターミナル到着。ここで乗り入れているのはPeachのみですが朝から結構な人出です。





あと何か収録もしてました。





国内線はこちらでチェックイン。





OOKINI!!




待合室で待機。多いなー。こちらでもテーブルで充電可能です。





20分前頃から順番に搭乗開始。





Peachの機材はA-320。エアバス機に乗るのは初めてです。





こちらの機体には何かラッピングが。




LCCということでやはり座席間隔は狭めで、ちょっと前にずらすと膝が前の座席に当たるくらいです。出発前の予報では揺れるかもとのことで、機内食が出せるかどうか少し不安に。機内食をアテにしてまだ朝食を摂っていません。





離陸直後は雲が多めでずっと真っ白。やっとこさ雲を出て青空が見えました。この時点ではほとんど揺れていません。





機内食で事前にTwitterでオススメしていただいた千房のお好み焼きを食す。フワサクで美味。ただし食事が届いた時点でシートベルトのサインが点灯したので大急ぎでかき込むw





小一時間ほどで鹿児島空港に到着。土砂降りじゃないか…(絶望) 何はともあれ1年半ぶりの鹿児島空港ですよ。といってもいつも種子島便への乗り換えばかりで、鹿児島空港から降りるのは今回が初めてですが。ロビーに出るとMiZさんが出迎えてくれました。直接お会いするのはH-IIA18号機打ち上げ以来約2年ぶりでしょうか。いつもTwitterのタイムライン上で一緒なのであまり久しぶりという感じはしませんがw 今回はさらに蒼井司さんという方もご同行です。





何この豪雨。よりによってピンポイントってどういうことなの。
途中でコンビニに寄って腹ごしらえなどをしつつ2時間ほどかけて内之浦へと向かいます。先にUSC入りした人たちからのツイートが続々と途絶える。





内之浦よ私は帰ってきた! といってもほんの2か月振りですが。前回もこの道を通ってイプシロンの打ち上げを見に来たわけですが、その時はあえなく空振りに終わりました。今回はそのリベンジも兼ねていたりしますw





USCにはキャパが無いので、内之浦総合グラウンド駐車場からシャトルバスが出ています。うむ、docomoSoftBankも携帯の電波が通じない。





11時過ぎ頃、「五運橋」を渡ってセンター内へ。いよいよ着きましたよ!





ここがM組立室! 種子島で言うところのVABや衛星組立棟のような場所ですが、この通り思いっきり解放されています。





イプシロンロケットフェアリングのプロトモデル。一体成形のアルミ合金製です。





「だいち」が観測した内之浦周辺。





入り口で貰った袋の中にイプシロンステッカーが。イイネ!





イプシロン弁当秋冬バージョンも開発されたようです。





さて、組立室の中では森田先生の第1回講演が開かれています。既に本編は終わって質問コーナーに移っているようですが…





おや、もしやと思ったら質問しているのはこないだ筑波で会ったばかりのmitsuto1976さんww






地元の方々からの応援の数々が展示されていました。婦人会から贈られた伝統の千羽鶴も!





講演が終了したところでイプシロンポストカードを頂きましたよ。






こちらはイプシロン用射点の模擬試験供試体。これでシミュレーション結果を実証しました。内部には高温の噴射によってできたアブレーションが見て取れます。





M組立棟を出ると目の前にはいきなりM整備棟! うおっデカイ! 小型ロケットと思って油断していたら、想像していたより体感2倍くらいのスケールで圧倒されました。これはなかなか写真では伝わりません。この感動をツイートしたいのですがまたしても電波が全く通じず。これが消息不明の実態か… 後から自分のツイート履歴を見ると1回だけ投稿に成功していましたw





整備棟と組立棟の間には物産展。のざわな漬けと鮭ルイベを購入。





風向風速棟の根元部分だけ。






整備棟に横付けされた空調移動車。組立室から整備棟まで衛星を収めたフェアリングを移動する際に併走して送風し続けます。





歩く宇宙服。





正式名称は「M型ロケット発射装置(イプシロンロケット対応)」




その傍には何やらブルーシートを被った台車らしきものが。これってもしかしてトランスポーター的なアレで用いられたものでしょうか?





整備棟を向かって右側から。とてもワンショットでは収まらないので数枚をパノラマ合成しています。




ランチャーの足元は打ち上げ時に塗装が剥げ落ちて懐かしの衛星の文字が。





向かって左側に回り込む。M-V時代の火焔偏向板が一部残されています。





12時を過ぎる頃、開閉扉の解放が始まりました。「おおっ」とどよめきが広がる。





数分で解放が完了し、ランチャーがその姿を現しました。うおおすげえ…。荒々しくそびえ立つMランチャー! 2か月前の打ち上げ時のダメージをそのまま残しています。足元から見上げると凄まじい迫力。そして数分後に旋回が始まりました。





下部の四角い筒状の部分は「電話ボックス」とも呼ばれ、ロケットの噴煙を煙道に導くためのものです。お、下から中を覗けるかも?





おおお… 煤けてはいますが直撃を食らっているわりに意外と綺麗です。さすがですね。




扉の開放からおよそ15分ほどでランチャーが射点にセットされました。





せっかくなのでランチャーをバックに記念写真を。ちょこっとランチャーが戻っているのは駆動操作体験を行っているためです。そこまでさせてくれるのがISASクオリティ。





こちらから線を引っ張って近くのテントで操作できるようにしているところですが、この時点ではM管制室から操作しています。





M台地はこのように切り立った山肌にあります。





そして後ろを振り返ってみると、何やら色々と転がっています。





これはどう見てもロケットを固定する部分ですね。これらはリハーサルで使用されたダミー筐体でしょうか?





うむ、とりあえず置いてる感が素晴らしいですね。





管制室の方向へ歩くと、M-Vのレプリカが。これもかつて試験に使われたものでしょうか。





こちらは日本で初めて衛星を打ち上げたL-4Sの原型であるL-3Hのレプリカ。





ブロックハウスに設けられたM管制室へと向かいます。その名の通りMロケット時代までの管制室です。地下シェルターとなっており、ランチャーから歩いて数分という非常に近距離にあります。種子島宇宙センターの場合だと近い方の第2射点でも約350mの距離がありますが、こちらは何と100mほどです。おそろしいww
ちなみにイプシロンからはE管制塔が規制距離外の宮原に設けられ、そちらで管制が行われています。





ここからは撮影禁止。中の管制卓にはM-V最後の打ち上げとなった7号機のテレメトリデータなどが表示されていました。奥の方ではここからランチャー操作体験実施中。





外に出て再び組立棟横。イプシロンか何かの段間部の試験モデルでしょうか?





断熱材の塗装されている部分をつついてみるとゴムのように柔らかい素材でした。厚さは1〜2mmほどだったように感じます。





リフターは「文部省」のままです。





M-Vの文字が書かれたコンテナ。





そしてイプシロンフェアリング。これって組立棟に展示されていたフェアリングの片割れですよね。というかその横には明らかにもう1つ置いてあったらしき跡がありますね。ここに2つポンと並べて置いてあったんですねw





空が晴れ、20mアンテナがよく見えます。





天気が良くなってきたので太陽光の下で改めてランチャーを撮影。




ランチャー付近でたむろしていると、リクエストにより射点内の見学にGOが出ました。え、行けちゃうの? マジで? MiZさんたちに教えようとするもやはり電波が通じず。





調子に乗ってフィーバー。





うむ、見事に焼けただれています。





ランチャーが射点の真上にセットされたので再び並びましたw





おお… うおお…






煙道は耐火コンクリートで出来ており、2号機まではこのまま使用するそうです。





いやーいいものを見せて頂きました。堪能堪能。





ランチャー関連の動画をこちらにアップしました。




そして森田先生の講演会の時間がやってきました。mitsuto1976さんと一緒に一番前の席に陣取る。

司会「森田先生を迎えましょう、カウント5・4・3…」
森田先生「エマスト」(会場爆笑)




「さきがけ」を打ち上げた時、私はまだ大学院の学生だった
1段目の姿勢制御の解析が修士論文のテーマだった
その成果がM-3SIIの打ち上げに実際に使われた
実際に参加したような感動があった
この感動が今の情熱を支えている
その3年前に内之浦実験場に見学に来た
様々な装置を目の当たりにして「絶対やりたい」と思った
小さい頃からあった夢が形になって現れた
好きなことをやれるのは幸せ。粘りに粘る。野球選手と同じ


1985年には忘れられない思い出
我が阪神タイガースが21年ぶりの優勝
宇宙の神様と野球の神様が同一だと気付いた(会場笑い)
2003年にJAXA発足、一緒になっちゃったがその時も阪神が優勝
間違いなく神様が頑張れと言っている
科学者は前向き、単純。やりたいことがやれれば良いという発想。
2005年、M-V実験主任として初めて6号機を打った。この年にも優勝。
その時思った。「ロケット開発を頑張れば阪神タイガースが優勝する!」(会場笑い)
阪神を応援し続ければロケット開発が上手くいく」かもしれないが。
今年は楽天だったが。
大好きなことをやってるのが大事かも知れない。苦難を乗り越えられる。
M-V引退は悲しい出来事だったがそれを乗り越えてイプシロンを打ち上げた。


大きな時代の変換点。
大きな物だけではなく小型高性能低コスト。技術の発展。身近な宇宙へ。
ここで自分語りを。
小学生の頃は昭和40年代、巨人が9連覇中で僕にとっては暗黒の時代(会場笑い)
SF全盛。サンダーバード、アトム、いくらでもあった。
ボタン一つで飛んでいくものを作りたいと思った。
空想で終わりがちだが、小5の頃、アポロ月面着陸。かなりの衝撃。
大阪万博で月の石を見た。3時間待った末に見た感動、光り輝いて見えた。
そういう場所に行けるロケットを作りたいと思った。
夢を身近に感じた。
中高と野球に明け暮れ、勉強は好きなことしかしてなくて、数学は大嫌い、今でも嫌いで
物理に走りがち。法則はシンプル。イプシロンに繋がってるのかも知れない。
甲子園にも行けず阪神の選手にも今のところなってないがロケット博士になった。
途方もない夢を実現可能に感じるのは大事かも。
小さな純国産固体ロケットでハレー彗星探査機を打ち上げた。心に響いた。




あ、(ペンシルの)羽根が取れちゃった!


僕がやりたいのはこれだと気付いたのは大学に入る頃。
一浪したがその1年勉強しかしなかった。それまで野球ばかりだった。


1972年ミュンヘン五輪で男子バレーボールが金メダルを取った。
その8年前の東京五輪で銅、4年前のメキシコで銀。
次は金だ!で本当に世界一になった。
背番号12 中学の先輩。2年生の頃に先輩が金メダル。10歳も離れてない。
5番の人も先輩。2人も先輩がいて在校生にはかなりのインパク



「森田」「泰弘」も(会場笑い)


中学1年の島岡選手が先生に「先生、金メダル取りたい」と言った
先生「何言ってるんだお前、簡単じゃ無いぞ」
「それでも取りたい」「だったら頑張れ」
それで本当に金メダルを取っちゃった。
ひょっとしたら僕もと思った。
いつかは自分のオリンピックで金メダルをと思った。
小さな皆さんもオリンピックの過程を頑張って欲しい。


イプシロン、先ほどのようにゆくゆくはカウントを5秒前、それくらい簡単にしたい。
色々なことに挑戦。1つ挙げると人工知能で面倒な作業を自律点検。
管制室、ロケット打ち上げの心臓部。30台の装置に100人の人数。お祭り騒ぎ。
甲子園の決勝、日本シリーズ第7戦のよう。
個人的には大好きだが、宇宙への敷居を下げるためにはいつまでも続けられない。
結果は劇的。PC2台、作業人数8人。点検は一瞬。人間なら1日がかり。
世界のロケット業界の常識を覆す革命。アポロ方式からイプシロン方式へ。
男子バレーボールの日本代表は時間差攻撃などフライングレシーブなど
秘密技を次々繰り出して世界一に。翌年から世界共通の技に。
それと全く同じ。常識を越える挑戦、フロンティア精神。



固体は我が国の真骨頂・お家芸
世界が無理と思ったことを次々実現して発展してきた。
ペンシルの頃は日本ではレーダー技術が未発達だった。
「だったら水平に打てばいい」とレーダー代わりにわら半紙を使った。
1970年に「おおすみ」打ち上げ。驚くべき事に誘導制御技術は無かった。
外国からは「打てるはずがない」と言われたが、打ってしまった。
ロケットは垂直に飛び立ったあと水平方向に加速する。
最初から斜め発射。重力で傾いていく逆転の発想。
1985年のハレーミッションも小さな固体でできっこないと言われた。
その歴史の集大成がイプシロンの挑戦。
5年前の国際会議でモバイル管制のコンセプトを発表した時、外国の人たちは
「できっこない」と笑っていた。しかし9月、見事に上がった。
直後に同じ国際会議で報告した。
皆悔しそうだが観念してスタンディングオベーション
あんなに悔しそうなスタンディングオベーションは見たことが無い(会場笑い)
はやぶさ」の時もNASAの人は本当に悔しかったと言っているが、
ロケット開発でも我々がリードする時がきたと感じた。


先代のM-Vが打ち上げた「はやぶさ
残念ながらコスト面で引退させられた。
野球で言えば三冠王年棒が高いと引退させられた感じ。
悔しいを通り越していた。
M-Vを超えるものを考えないと固体ロケットの明日は無い。
そんな雰囲気。プレッシャーだった。
お金をかけずに世界一、暗中模索。
秋葉先生「宇宙開発にたらればはない。M-Vのことで文句を言うな。
過去に囚われずいいロケットを作って自分たちで未来を拓け」
目が覚めた。ロケット本体という小さな世界ではなく
ロケットを打ち上げる仕組みという大きな視野でモバイル管制という
とてつもない挑戦に辿り着いた。
逆境は飛躍のチャンスだった。


糸川先生の言葉だが、最も必要なのは逆境と良き仲間。
仲間がいれば一緒に乗り越えられる。
逆境が大きければ大きいほど飛躍も大きい。


これがそのチーム。イプシロン準備中のある日の風景。
これで全員ではないが、今日のような雨の日、管理棟の一角。
毎日遅くまでほとんど休みもなくへこたれていたが皆いい顔。
成長している人たちの顔。


最先端の科学、ドライな印象を受けるかも知れないが全く反対。
一つの目標に向かい結束して初めていいロケット開発ができる。
こういう素晴らしいチームあってこそ。日本の宝。


8月27日、発射直前に中止。
機械に人間がやっていたことをやらせるというのは
人間が出来ないこともやらせようということ。
我々はポカもドジもボーンヘッドもする。
発射瞬間では起こらない。
機械が我々の思い至らないことをあらかじめ見破って大事故を未然に
防ぐというコンセプト。ドジを補ってもらおうという発想。
そういう意味ではコンセプトとしては正しく働いた。
しかし我々の思い至らなかった部分はコンピューターのバグ、
非常に単純なところ。とても悔しかった。
エベレストのベースキャンプの小石でこけちゃった感じ。
「エベレスト(モバイル管制)なんて目指さなければよかったか?」
などと思ってしまったり。
テレビの前では気楽な顔で「120%の自信がある」と言っていてそれは
その通りだったが、内心悔しい気持ちもあった。
心身共に疲れ切って迎えた打ち上げは単純ミスで直前延期。9月14日までの
18日間は辛い道のり、どうなるかと思ったが支えてくれたのは全国の
宇宙ファンの応援。紹介したい応援メッセージは山ほどある。



施設の子供たちからの色紙、入院中のご老人や待ちの皆さんからの千羽鶴などなど。
毎日生きていくだけでも大変な人たちが夢を託して応援してくれる。
心強い励みになった。これだけの熱意を推進力にするんだから
失敗するはずが無い。そう思った。


地元の皆さんの応援、実験場との関係は世界的には非常に特殊。
世界の射場は地元からすると何をしているか分からない秘密基地。
内之浦という町はその常識も打ち破っている。

我々と町の皆さん、全国の宇宙ファンの熱意と希望を推進力に
飛んでいったロケットだった。長年ロケットに関わってきたが、
今回ほど皆さんの存在をありがたく思ったことは無かった。
今思えば大事な18日間。あっさり上がらずによかったと今では思っている。


質問コーナー

―ランチャーが炙られて懐かしい文字が現れていたが、(イプシロンの打ち上げで)あそこまで炙られるのは想定されていたか。


ある程度は予想していた。煤のような物だが、過塩素酸アンモニウム、アルミニウム、ポリブタチエンという樹脂。これが一番黒く燃える。M-Vにくらべ多い。あそこまで黒くなったのは驚いているが。M-Vの文字が出てきたのは嬉しかった。



JAXAに統合されて組織文化の違いが大変だったと思う。今はその敷居はどの程度低くなったか。平たく言うと種子島の人たちとどれくらい仲良くなったか(会場笑い)


大変難しい、いい質問(会場笑い) 現場の敷居がどれくらい低くなったか、種子島方式、NASDA方式、内之浦方式・相模原宇宙研方式いろいろ呼んでいるが、その差はあまり大きくないと思っている。野球の話で言うと種子島管理野球内之浦はのびのび野球。やり方の違いはあるが所詮同じ競技種目。皆の努力で埋めていける。それぞれ良いところを集めて未来にふさわしい打ち上げ方式を作っていこうというのがイプシロン。2つの異質なチームが1つの夢に向かって一丸となれたかなと私は思っている。



―実際打ち上げてみて全く問題なかったか、何かちょっと問題があったか。


音響でいうとクイックで評価する限りでは思っていた以上の効果があった。アリアンやH-IIAに負けない音響環境を実現できたと考えている。飛行中の振動も劇的に緩和されている。PBSを使ったが、誤差数kmの非常に高い精度が可能になった。大事なところでは大成功。


―ランチャーが焦げたのは対策するか?


成分の違いだけであり燃焼温度が高くて溶けるという話ではないので、清掃を頑張るということで…いい?(会場笑い) 個人的にはカラーリングを毎号機楽しめばいいかなと。2号機はタイガースカラーで(会場拍手)



―世界から出来るわけないと笑われたという話だが、自分が人工知能の話を聞いた時、これだけ技術が発展してきた中で正直何がそれほど笑われるほど難しいことだったのかよく分からなかった。その部分を教えて欲しい。


これまでの宇宙業界は信頼性が最優先で、そのためにかかる時間・費用・人手は考慮されてこなかった。かけられるだけかけるという考え方。それで出来ているのに何故そんな挑戦をするのかが彼らは理解できなかった。新しいことにはリスクが伴う。それを許容しなかった。我々はここで変化しなければ宇宙開発の未来はないと考えた。それが分からなかった。今は分かっていると思う。



―次のイプシロンは2年後と聞いているが、商業打ち上げを受注できれば2年後と言わずすぐ上げるということはあるか。


もちろんある。当面打ち上げる衛星は宇宙科学の衛星ということで2年後となっているが将来的にはビジネスに活用してもらうことを目指していて、受注活動を始めようとしている。もし獲得できれば更に高頻度の打ち上げが視野に入ってくる。



人工衛星ひさき」の名前はどこから?


ひさき」には色んな由来があって、内之浦の半島の先っぽの地名「火崎」にあやかっている。内之浦になじみのある名前。また惑星を観測することで太陽の光が当たる日の先。その両方にひっかけてある。



―(自分)初めて整備棟を間近で見てその大きさに感動した。森田先生ご自身はリハーサルの時などランチャーがイプシロンを搭載して旋回した様子を間近でご覧になったりしたか?


整備棟にあった時はイプシロンのそばで「カワイイカワイイ」と触ったりしていたが(会場笑い)、リハーサル時などは2km離れた宮原のイプシロン管制センターにいたため皆さんと同じく小さくて白いイプシロンを見ていた。どこでも打てるモバイル管制にしたのがいけなかった。離れた安全な場所に行けと言われ(会場笑い) 音響レベルを下げるためにかさ上げした「電話ボックス」と呼ばれる部分が、遠くから見るとM-Vに負けまいと背伸びしているように見えて健気で愛おしかった。



―(自分)報道ではよく0.07秒のずれを修正して打ち上げに臨むというふうに報じられていたが、単にその分のタイミングをずらすというものではなく、搭載計算機が起動したことを確認してから数値の判定を開始するようにしたという理解でいいか。


もう少し正確に言うと、搭載計算機から地上計算機に送られてくるデータにタイムスタンプを参照してチェックするという命令に変えた。元々はほとんどバグだった。こうなっているべき部分が抜けていた。



―世界の目から見てイプシロンの評価が時系列に大きく変わってきたかと思う。先生やチームとしての変化は。


かなり大きいところがあって、M-V終了直後は次に出てくるのはM-Vに毛が生えたものだろうという予測が諸外国にあったと思うが、宇宙ロケットの将来を変える革新的なものを内蔵してきたということで物凄く注目されている。このようなコンセプトをどう取り込んでいくかという段階に入っている。ある種時代を変えたなという思いがある。



―だいぶ以前にJAXA'sで見たが、サンダーバードのように打ち上げられるのは今後何年先になるか?


個人的には東京五輪の頃にそうなるといいなと思っている。作戦は沢山ある。国の予算も厳しいので一度にやると大変なので少しずつ変えていき15年後には週〜月単位で打ち上げ隊。実力としては今すぐやる自信はある。皆さん是非応援をよろしくお願いします(会場拍手)



―初号機の打ち上げでは第1段にファンからのメッセージが刻まれていたが、先生ご自身は機体に書かれたメッセージをご覧になったか?


もちろん。機体に書かれたものや手元に届いたものを読ませて頂いている。色々あるが、中でも自分たちの夢を乗せてというメッセージが一番心に響いた。
―非常に感動したので是非2号機以降もこのような企画を!



―H-IIIの開発でSRBが廃止になる運びだがイプシロンとしてはどのように対応を?


H-IIIがどのような形態になるかは現在研究されているがまだ確定では無い。SRB-Aのようなサイドブースターが付くかどうかは別にして何らかの補助的なエンジンは必ず載ると思う。それとイプシロンでしっかり連携していきたい。



イプシロンの会見などでM-Vシャツを着ているシーンを記憶しているが何かゲンを担いでいるのか。またイプシロンシャツに変わる予定は?


最後にふさわしい質問。僕個人がM-V大好きというのがひとつ。イプシロンも同じくらい大好きなのでイプシロンTシャツもあれば着たかったがチームの皆忙しくて予算もなく企画できなかった。2号機以降の申し送り事項としてちゃんと着るようにしたい(会場拍手)

あとから測ってみたら10分の質問コーナーが25分くらいあって笑いましたw 会場中からイプシロンへの愛情を感じる講演会でした。





M台地に夢中になっているうちに終了時間が迫ってきましたが、他の場所にも回ってみます。こちらは糸川先生銅像





KS台地にやってきました。KSドームでかい! このドームの天井が開閉し観測ロケットが打ち上げられます。





こちらでは水ロケット大会が開かれています。





M-3Sのレプリカが。




KSドーム内にやってきました。ランチャーにセットされているのがレプリカなのか実機なのかは確認できず。ここで時間切れになったためM台地に戻り、MiZさんたちと合流して帰路に着きました。


帰る頃には徐々に天候が回復し、月も見えてきました。2時間ほどかけて鹿児島空港まで向かい、そこで夕食をご一緒。その後お別れしました。今回は本当に有り難うございました!
ちなみにMiZさんはそこから更に走り、日付変更した頃にご自宅に辿り着いたそうです。本当にお疲れ様でした…。





さて、自分も8時半の便に搭乗。帰路の座席は往路よりしっかりした感じで若干余裕があったように感じました。ほとんど寝ていなかったので、うつらうつらしているうちに関空へと到着。




大阪に帰ってきたぞー! とはいってもここから色々乗り継ぎ、自宅に辿り着いたのは25時近くになってからでした。やはり内之浦の日帰りはなかなかの強行軍でしたねw

2013内之浦宇宙空間観測所 施設特別公開 [天燈茶房 TENDANCAFE]

記事でちらほら現れたmitsuto1976さんもレポートをアップされていますのでこちらも是非ご覧ください!