捕虜処刑: 旧日本軍の犯罪写真 米国立公文書館で発見

福林さんらによると、45年3月以降、米軍機の搭乗員57人が近畿で捕らえられ、中部憲兵隊司令部(大阪市)へ送られた。捕虜は国際法で一定の待遇を保障されるが、うち39人は「無差別爆撃を行った戦犯」として捕虜扱いされず、裁判なしで処刑された。

捕虜の処遇についてはそれはそれで問題があるかもしれませんが無差別爆撃という大量殺戮行為のほうは宜しいので?