ロシアによるグルジア侵攻、問題が解決しなければ国際宇宙ステーションは廃棄の可能性 [Technobahn]

ビル・ネルソン(Bill Nelson)米上院議員は12日、ロシアがグルジアに対して侵攻攻撃を行ったことに関して言及し、スペースシャトルが退役する2010年以降、米国人宇宙飛行士の国際宇宙ステーションISS)への移動手段としてロシアのソユーズ宇宙船の搭乗枠を買い取ることを議会が承認する可能性は少なくなったと述べて、2010年以降、米国人宇宙飛行士がISSに移動できる手段はなくなる可能性がでてきたことを明らかにした。

ネルソン上院議員はケープケネディー宇宙基地のお膝元となるフロリダ州が地盤。また、元はNASAの宇宙飛行士だったということもあり、米上院の中にあっては最有力宇宙族議員として知られている。

仮に現在、NASAとロシア宇宙局(Roskosmos)との間で交渉が進められているソユーズ宇宙船利用での包括契約交渉がグルジア侵攻問題が理由で打ち切りとなった場合、ソユーズ宇宙船を使った米国人宇宙飛行士のISS渡航はもちろんのこと、欧州宇宙機関ESA)の宇宙飛行士や日本の宇宙飛行士のISS渡航もできなくなる可能性もあり、ISSの運営は事実上頓挫することとなる。

スペースシャトルに代わる宇宙船としては無人のものに関しては既にESAがATVの実験に成功、また近く日本もHTVと呼ばれる無人宇宙船の打ち上げ実験を行うことが予定されているが、どちらも有人能力はないため宇宙飛行士のISSへの渡航手段には利用することは困難。

SpaceX社は、現在、スペースシャトルの代換手段としてFalconロケットとFalconロケット用のDragon有人宇宙船の開発を進めているが、これらの開発が成功するかどうかは技術的にはまだまだ流動的な要素も残っているのが現状。

米国政府は既に、ロシアのグルジア侵攻を理由に先進8ヵ国首脳会議(G-8)からロシアを外すための交渉を各国首脳と行う状況ともなっており、ロシアによるグルジア侵攻問題が短期間に打開されなければ、多額の費用を投じて構築が進められてきたISSスペースシャトルが退役する2010年をもって廃棄となる可能性もでてきた

いきなり「廃棄」と飛ばすTechnobahn節に吹きましたが、ソユーズに乗れないのならシャトル退役を数年延期すればいいんじゃないですかね。 それかロシア人宇宙飛行士に維持させるか。

[スポーツ] 北京五輪関連

北島、200平も金 2大会連続2種目制覇 [朝日]

北京五輪第7日の14日、競泳男子200メートル平泳ぎ決勝があり、北島康介日本コカ・コーラ)が2分7秒64の五輪新で2大会連続優勝を果たした。100メートル平泳ぎも世界新記録で2連覇しており、日本の競泳史上初めて2大会連続2冠を達成した。五輪の男子200メートル平泳ぎでの2連覇は、28年アムステルダムと32年ロサンゼルスを制した鶴田義行以来2人目となる。

まさに魚類、文句無しの2冠達成おめでとうございます。

関連:2冠北島のバラの花束 岩崎恭子さんキャッチ [産経]

何いい雰囲気みたいな事やってるんですかww

星野ジャパン、台湾に逆転勝ちで大会初勝利 [SANSPO]

野球の1次リーグを行い、日本は6−1で台湾に逆転勝ちして初白星を挙げ、1勝1敗とした。15日はオランダと対戦する。台湾は1勝1敗。

日本は0−1の五回に阿部慎之助(巨人)のソロ本塁打で追い付き、六回に稲葉篤紀日本ハム)の適時打で勝ち越し。九回に4点を奪い、突き放した。先発の涌井秀章(西武)は6回1失点と粘り、継投で反撃をかわした。

帰宅した頃には0-1で負けていてありゃあああと思ってましたが直後に追い付き逆転、最終回には台湾の投手陣が崩れたのを見逃さず一気に突き放し、不調と言われていた上原投手が完璧に抑えて最後をビシッと締めました。 このいいリズムで明日以降の試合に繋げていってくれたらいいなと思いますね。

内村が「銀」、冨田は4位 体操男子個人総合 [産経]

体操男子個人総合決勝が14日、国家体育館で行われ、内村航平日体大)が91・975点で2位となり、銀メダルを獲得した。内村は2種目を終えた時点で22位と大きく後退したが、中盤以降に本来の動きを取り戻した。冨田洋之セントラルスポーツ)は91・750点で4位だった。優勝は、個人総合の世界選手権王者の楊威(中国)で、94・575点だった。

今大会の体操でのメダル獲得は、男子団体の銀メダルに次いで2個目。男子個人総合での日本のメダル獲得は、1984年ロサンゼルス大会の具志堅幸司(現男子監督)以来。

19歳の内村は1種目目の床で無難な滑り出しを見せたが、2回落下した2種目目のあん馬で13点台にとどまって22位となり、厳しい展開となった。だが、4種目目の跳馬で16・300点、5種目目の平行棒で15・975点の高得点を連続して出し、5種目目を終えた時点で4位まで浮上した。最終種目の鉄棒では、コールマンなどの大技を確実に決め、メダルをたぐり寄せた。

冨田も3種目目の吊り輪の着地で大きくバランスを崩して転倒したが、5種目目の平行棒で16・000点を出して追い上げ、最終演技の鉄棒でも着地をしっかり決めた。

冨田選手はまさかの落下でメダルに届きませんでしたが、その後の演技は流石でしたね。 若手の内村選手の活躍ぶりも素晴らしいというか、今後が本当に楽しみです。 苦手という鞍馬で落下して大きく後退してましたが、プレッシャーどこ吹く風という感じで気付けば2位w 銀メダルおめでとうございます。

太田歴史を変えた銀メダル/フェンシング [日刊スポーツ]

取り囲む報道陣に「『就職先募集中』と書いておいてください」とアピールも忘れなかった。今年3月の同大卒業後、就職も進学もしなかった。人生のすべてを剣にささげてきた。マイナー競技にスポンサーはつかない。「フェンシングでは食っていけない」。それでも一般企業に入社して“兼業”でやるという選択肢を、競技に専念するためあきらめた。

07年2月から日本協会が都内で始めた「500日合宿」に参加して衣食住は保証されていたが、収入はゼロ。遊ぶカネも時間もなかった。社会人として働く友人たちに「まるでニートやな」と言われながら、毎日午前9時から午後9時まで練習に明け暮れた。故郷大津を離れて初めての1人暮らし。うどんをすすりながら、ホームシックなりかけたこともあった。

8歳だった94年5月、元選手の父義昭さん(55)から「スーパーファミコンを買ってやるから」と誘われて剣を握った。以後は毎日が練習。修学旅行も剣と一緒だった。04年5月に左足首の靱帯(じんたい)を断裂した時も、自宅の床に座って義昭さんと剣を交えた。教員の父に遠征費200万円を出してもらって出場権を得たアテネ五輪は9位。悔いだけが残った。

その後は国内大会でも負けが続くスランプに陥った。「もう(競技を)やめたい」と先輩に相談。06年3月に競技を始めて以来4300日以上も無休で続けてきた練習を初めて休んだ。12年ぶりに剣を握らない1日を過ごし、自分を見つめ直した。再び心が燃え上がった。

「フェンシングをメジャーにしたい」という思いを胸に剣の道を歩んできた若きサムライ。色は銀でも“最高のギフト”を日本に持ち帰る。

ニートいうな! ってまあ本人がネタにしてるんだからいいのだろうかw しかしあえて就職せず五輪に専念し見事な戦果を上げたんですからこれはもう立派な「戦士」でしょう。 マイナースポーツは大変ですが、求職も何とか報われて欲しいものです。