東北地方太平洋沖地震関連 2011.05.16

仙台平野、弥生時代にも巨大津波に襲われていた [読売]

 約2000年前の弥生時代に仙台平野を襲った津波は、東日本大震災の巨大津波と同程度まで内陸に浸水していた可能性の高いことが、東北学院大学の松本秀明教授(地形学)の調査でわかった。

 15日、仙台市で開かれた東北地理学会で発表した。

 869年の貞観津波の浸水範囲もほぼ同じだったとみられ、松本教授は「仙台平野では、ほぼ1000年周期で東日本大震災と同規模の巨大津波が襲来していた可能性がある」と指摘している。

 松本教授は4月、今回の津波が内陸約4キロまで浸水した仙台市若林区で、津波が運んできた堆積物を調査した。その結果、海岸線から約3キロまでは砂だったが、その先はより粒子が細かい泥が堆積していた。

マジで1000年に1度クラスですね。今回の大震災で多大なデータが残りましたが、これを今後何世紀にもわたって残すことができるか。

福島第1原発:1号機、冷却装置を手動停止 炉圧急低下し [毎日]

 東電が公開したのは▽福島第1原発の各種データの記録紙▽警報発生などの記録▽中央制御室の運転員による引き継ぎ日誌▽電源復旧作業など各種の操作実績−−など。A4判で約2900ページに及ぶ。

 データによると、3月11日午後2時46分の地震発生直後、原子炉圧力容器に制御棒がすべて挿入され、原子炉が緊急停止。非常用ディーゼル発電機も正常に稼働した。1号機の原子炉を冷却する非常用復水器も自動で起動したが、約10分後、炉内の圧力が急激に低下したため、地震から約15分後の午後3時ごろ手動で停止されたとみられる。圧力容器のデータの変化をみると、その後、津波到達(同3時半ごろ)までの間に、何度か起動、停止を繰り返していた可能性があるという。東電は「この作業は運転手順書に基づき、炉内が冷えすぎないよう調整したのではないか」と説明している。津波の後、手動による起動の記録がある同6時10分までの間に復水器が機能していたかどうかは不明だ。

 一方、格納容器を破損から守るため、弁を開いて炉内の放射性物質を含む気体を排気するベントについては、1号機では12日午前9時15分から、手動で弁を開ける作業に入っていた。2号機は13〜15日にかけて2回のベントを試みたが、格納容器の圧力低下は確認できなかった。3号機は13日以降、ベントを複数回繰り返していた。

復水器を手動で調整している間に津波で内部電源がやられたようです。そこから夕刻までの間復水器が再起動していなかったとしたら冷却水の低下に影響を与えていた可能性がありますが、操作ミスではないですよね。冷却系が正常動作していたかどうかという話になると思います。