結果不振選手批判はブラック企業の論理 [日刊スポーツ]

 毎回起こることだけれど、選手が結果を出せなかったとき、批判が出る。その批判の中には「選手の強化費は国費から出ているものだから、当然選手は結果を出すべきだ」というものがあるが、いったい、どの程度選手には強化費が使われているのだろうか。

 強化費に関して計算の仕方にさまざまな考え方があるので、どの程度、正確なのか分からない。12年ロンドン五輪では、ドイツが270億円強、米国165億円、韓国150億に対し、日本は27億円という試算がある。ある程度のばらつきがあるとみても、日本の強化費はかなり少なく、その中でメダル数はよくやっていると言える。

 メダル獲得に関して、日本はかなり不利な状況にいる。人口はそこそこながら先進国中で少子高齢化はトップを走っていて、GDPも減少しつつある。また強化費は発表している国の中では最も低い中、選手たちは努力していると言えるのではないか。夏の五輪はそれでも注目が集まり、ある程度サポート態勢が整っているが、冬季五輪は器具を使うためにかなりお金がかかるのに、サポート態勢がそれほど充実していない。

 もちろんメダル数などに関係なく、ただスポーツを楽しめばいいという考え方も素晴らしいと思う。実際にそう割り切っている国もある。その場合は強化費を減らせばいいのだが、ただしメダルは望めない。「お金はないがメダルは取れ」は少々、選手に酷な状況となってしまう。

御意。単にスポーツに興味がないからというような意見は除いて、これはそもそも国費がどうのこうのと因縁付ける規模なのか? 1円でも使われていたら義務が発生するというような原理主義的な理論なのか? 費用対効果を言うならもちろん決して十分な規模とは言えませんし、メダルを量産すべきという観点からするとむしろ更に底上げを図るべく増強してしかるべきでしょう。日々練習場を確保するだけで精一杯という選手も少なくありません。
ここ一番で最大のパフォーマンスを発揮できるかどうかはその時のコンディション、運、色々ありますが、いくら金をつぎ込んだところで決して100%のリターンを保証するものではありません。あくまで支援であると考え、その上で世界のトッププレイヤー達の観戦を楽しむのが精神衛生上一番良いんじゃないですかね。