はやぶさ信じ逝った息子 遺影抱えた父、一番乗り 佐賀・宇宙科学館でカプセル公開 [読売]

 「どうしても息子に一番最初に見せてやりたかった」

 先頭にいたのが長男拓也さんの遺影を携えた曽於市の松迫淳一さん(55)だった。

 内之浦宇宙空間観測所肝付町)でたびたびロケットが打ち上げられていたことなどから、親子とも宇宙への関心が高かった。

 はやぶさが打ち上げられた2003年5月、拓也さんは小学6年。淳一さんは自宅の庭から、宇宙へ飛んでいく探査機を載せたロケットの光を撮影した。親子で打ち上げの写真や新聞の切り抜きを見ていた時、淳一さんが「遠いし、目指すのは小さな惑星だし、戻ってこないだろうな……」と話を向けると、拓也さんは「必ず帰ってくるよ。日本の宇宙開発技術はすごいんだから」と答えたという。

 交信途絶などのトラブルに見舞われても「はやぶさは大丈夫だよ」と繰り返し、帰還を信じていた拓也さん。しかし、高校1年だった07年1月29日、通学中に交通事故に遭い、他界した。

 今年6月のはやぶさ帰還のニュースに、「息子が連れて帰ってきてくれた気がした」という淳一さん。26日午後8時半頃に車で自宅を出て、27日午前1時頃に宇宙科学館に到着した。遺影を胸の前に抱え、はやぶさのカプセルを観覧した淳一さんは「息子も喜んでいると思う。『お前、よく連れて帰ってきてくれたな』と声をかけました」と話していた。

立派に帰ってきましたよ。きっと星になって見守っていた事でしょうね。