[CEDEC 2011]初日の基調講演は,小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンについて。未踏の技術に挑む,技術者達の物語 [4Gamer]

國中先生の講演が詳細にレポられています。ニコ生でも中継されていたようです。

 というわけで,イオンエンジン。開発は1988年頃から始まっており,最初のエンジン「Y-1」が完成したのが1989年のこと。はやぶさ(正式名称は,MUSES-C)に搭載された「μ10」ができあがったのが2001年なので,新規技術の着想から実証,性能達成には10年かかったと國中氏は言う。実際,話にならない性能しかなかったY-1とμ10では,「推進利用効率」と「イオン生成コスト」から見た性能差が2桁以上になるそうだ。もっとも,プロジェクトマネージャーの白川淳一郎氏の著書によれば,このイオンエンジンは「技術的に面白い」という理由で始まった,シーズ先行の研究だったという。つまり,使い道はこれといって決まっておらず,イオンエンジン研究を否定的に見る向きもあったらしい。
 スライドの中には,開発開始当時の雰囲気を伝えるものもあるが,予算がなかったので,高価なマイクロ波発生装置は仲良くなったジャンク屋で調達したという。研究室には懐かしのPC-9801があり,自作のソフトで計測を行ったのだが,素朴なPCであり,今と違って,ハードウェアを直接コントロールするようなコマンドも使えたので面白かったという。

ジャンク屋で調達とか、この黎明期的雰囲気がたまりませんね。

「5年後のMUSES-Cまでに,イオンエンジンはものになるのか?」と聞かれた國中氏は,正直な話,初めてやることなので見当もつかなかったが,できると答えた。長く研究してきたイオンエンジンが初めて日の目を見る機会であり,自己実現と日本の宇宙進出には,ツッパリとハッタリも必要だと語る國中氏は,ただちにエンジン耐久試験を開始した。

そこは川口先生自身もツッパリとハッタリでサンプルリターンやったる宣言したようなものでしたし、幸いにもそれがドハマリして実現しちゃったと。

 さらに,化学推進系を失ったはやぶさを,中和器からのヒドラジン噴出で姿勢制御し,唯一残ったエンジンDがついに故障したときには,エンジンAとBの同時運転によって乗り切った。2つのエンジンの同時運転は,「こういうこともあろうかと」と仕込んでおいた仕掛けで,エンジンDの故障時には70%不安だったが,30%ほどやってみたいという気持ちだったそうで,危機に際してのその心理は,やはり根っからのエンジニアという雰囲気だ。

ここのスライド画像は必見ですよw

 はやぶさのカプセルからは小惑星由来と思われる物質が回収され,現在,分析が続けられている。かつて,ITOKAWAは地球から望遠鏡で見える小さな点に過ぎなかった。このとき,望遠鏡の分解能は10の12乗m。はやぶさが接近して,レーダーに捉えられるようになったときの分解能は,100m。ランデブーから着陸へと続き,分解能も1m〜1mmへ向上し,サンプル回収の結果,分解能は1μmにまで高まった。國中氏はこれを,科学技術の向上で見える範囲が22桁向上したという。いかにもエンジニアらしい発言だが,そのITOKAWAそのものも,地形や重力分布など,はやぶさの資料を基に研究が進められている。

かつて望遠鏡から覗いた遙か遠くの小さな点が、今は目の前にある小さな点。しかし大きく違うのは、遠い物を見るのには補正の限度があるが手元にある物は分子レベルまで好き放題覗く事ができるというところですねw

 はやぶさの回収した資料は,40%ほどが研究に使われ,また関係各国に配られたが,残りは保存しておくそうだ。将来,進んだ分析技術が登場したときに備えてのことだが,國中氏はこれを,正倉院の宝物や高松塚古墳の壁画にたとえた。未来への遺産,それも日本が世界に残す遺産というわけだ。「見かけは,全然パッとしませんけどね」と國中氏。

すでにサンプルの配布は行われているようです。

「こんなこともあろうかと」技術者の信念が新たな世界を切り拓く――はやぶさ探査機の場合【CEDEC 2011】 [ファミ通]

 質疑応答では、「こんなこともあろうかと」とするための準備とコストとの兼ね合いはどうしているのかとの質問が出た。國中氏は、「コストと時間と質量が許容すれば確かになんでもできる」と述べた上で、例えばバイパス回路に100グラムかかっていれば無理なことと説明。そこで1グラムで実現できる回路構成を考えられるかがキーであるとした。事実としてバイパス回路は、たった1個のダイオードを加えることで実現している。

たぶん世の中には「こんなこともあろうかと」色々仕込んだものの全く日の目を見なかったり(本来それが良い事ですが)、時にはコストカット対象になったりする物も多いんでしょうね。ただ1つの確信と閃き。